今週はこんな本を読んだ №462 (29.4.2) 「バカにつける薬」

今週はこんな本を読んだ №462 (29.4.2)

「バカにつける薬」  呉智英 双葉文庫 620円 96年7月初版

本を探して押入れの中をあれこれ探索していた時に、呉智英先生の初期の双葉文庫の文庫本「封建主義者かく語りき」、「バカにつける」、「サルの正義」、「大衆食堂の人々」、「現代マンガの全体像」五冊が一緒に入った本屋の紙袋が出てきた。みな96年7月に発売されたものだ。表紙カバー、カバーを外した双葉文庫独特の抹茶色の表紙を見て、懐かしさで胸がいっぱいになった。
「危険な思想家」と自称する呉先生の本を手にして、懐かしさで胸が、などと言っていたら、あの時代ならタイホされたかも知れないが、今ではそんなことを言ってみても、笑われることさえない。所持品検査の心配もなければ、私には今日中にやらねばならない仕事があるわけでもない。ゆっくりと味わいつつ、「時代」を遡ってみることにした。
私はたくさんのことを先生から学んできた。最も影響を受けた先生の一人、と思っている。
今日まで“腐る”ことなく人生を歩むことができたのもまったく先生のおかげである。

冒頭の一頁に「「バカにつける薬」効能書」が掲載されている。
「近代社会、民主主義社会はバカと言う罵倒語を本来的に許容しないのではないか。民主主義とは一言で言えば、バカは正しい、という思想だ。バカという言葉は社会の根幹に関わる罵倒語なのだ。それならば、近代という時代への根底的な批判を自分の評論活動の基盤に置く私としては、この禁忌語を積極的に使用し、沈滞する思想界に揺さぶりをかけてやるべきだ」。
そして、「本書は、こういうバカにつける薬である。この薬の効用はバカにつけるつとバカが治ることである」と書いてあった。
この本の中で「バカ」と指摘されるのは、民主主義、民主主義者、俗流教養主義者、そして「大衆」という存在だ。その基盤にあるのは「知識人、士大夫は果たすべき役割を自覚せよ」、ということではないのか、と二十年後に再読して初めて読んだ時に受けた印象に間違いがなかったことを改めて思った。
呉先生はこれから「論語」と「仏教」に向かうようになるのだが、この時から既にその萌芽がみられる。
「折々のバカ」、そして「自ら墓穴を掘るバカ」、「バカを撃つ」「馬を撃つ」、「鹿を撃つ」、「右ヘも左へも軽くジャブ」、中華料理のメニュを見ながらあれこれ料理の内容を想像するような、妄想が湧き上がってくるようなタイトルが並んでいる。

呉智英先生の語る「高邁な思想」の一片ではなく、「実用品としての書斎」というエッセイを紹介する。
男には書斎が必要だ、こんな卑しいことが言われるようになったのはこの10年ばかりのことだろうか。この言葉には俗物教養主義の臭いがたちこめている。学生時代、卒業間際に引越ししたまま16年間住んでいる六畳+台所の木造モルタル塗りのアパートが居住空間兼仕事部屋兼書斎である。必要最小限のものしか置いていない。生活用具も不要のものは場所ふさぎにしかならないから置かない。女房子供ペット観葉植物のたぐいも場所ふさぎであるから置かない。本も同じである。必要最小限のものだけ置くのだ。不要な本は古本屋に売る。不要かどうかの基準は、その本を後に、部分的にまたは全体的に再読するかどうかである。再読の可能性のない本を後生大事にためこんで、本棚に飾って喜んでいると、場所ふさぎになるだけでなく、人間の品性が卑しくなる、ということが書かれてある。
女房子供ペット観葉植物の類いは場所ふさぎ、再読の可能性のない本を本棚に飾っておくのは、場所ふさぎになるだけでなく、品性が卑しくなる。
まさしく、「正論」である。そのことが分かる歳になってきた。
だが、それでもなお、私は「自分の書斎」というものを、今でもなお、夢見ている。

「愛の悲しみ」という章の、「中島みゆきは中山みきである」という一編は、中島みゆきについて書かれたものである。初出は83年のものだが、今でも十分に通用する「中島みゆき論」である。三十数年前に書かれた一編が今なお正鵠さを失っていないということは、呉先生の事象の本質を見抜く目の確かさもあるが、「中島みゆき」の存在そのものにあると思う。それにしても83年当時に、「アザミ嬢のララバイ」に言及したのは慧眼としか言いようがない。この一点で私は呉先生を尊敬に値する「思想家」としたことを、今さらながら思い返した。
「アザミ穣のララバイ」は、時空を飛んで、2006年に「ララバイSINGER」として結実する。一本のかすかな“弧”にしか見えなかったものが、23年もの長い歳月の時空を飛んで“円弧”になって閉じたのだ。
私にとって中島みゆきは神である。だから、神の奇蹟について、あれこれ言わないことにしている。
若い頃は、神への信心は誰にも負けない、とばかりに、言挙げしてきたし、信者を増やすための折伏もしてきたが、歳を経るに従ってもうそんなことはしなくなった。傍で誰かが何を言っても微笑んで見ていられるようになった。
受けた「秘蹟」を語る必要はない。「奇跡は語らず。中島みゆきは神ゆえに」と、思っている。
この本は十万部ほど売れ、「私が打った三塁打」と後から出た別の本に書いてあった。

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