今週はこんな本を読んだ №283 (25.10.6)

今週はこんな本を読んだ №283 (25.10.6)

「眩 暈」  島田荘司  講談社文庫  95年10月初版 840円

BSで放映されたヒッチコックの「めまい」を観た。この映画を最初に観たのは昭和45年頃だろうか、今はもうあとかたもなくなってしまった有楽町の日比谷映画街の入口にあった日比谷映画で、その後、TVでも観た記憶がある。2012年英国映画協会が発表した「世界の批評家が選ぶ偉大な映画50選」の第一位に選ばれた映画、ということを知っていたので、意識して目を凝らすようにして観たが、「偉大な映画50選の第一位」に選ばれた理由はまったく良く分からなかった。
「アラビアのロレンス」ではなく、「マイ・フェア・レディ」でもなく、「博士の異常な愛情」でもなく、「独裁者」でもなく、なぜ「眩暈」なのだ、と?マークが見ているあいだ目の前を飛び交った。
犯人を追跡中に同僚を墜落死させたことから、高所恐怖症にかかって刑事をやめた主人公のところに、友人から自分の妻の素行調査を依頼される。尾行中に、その妻が教会の鐘楼に駆け上がり、主人公の元刑事がめまいをおこして立ちすくんでいる時に、身を投げて死んでしまう。そしてそれから、というストーリィだ。
鐘楼に上る階段から下を見下ろした時、下の階がぐっと持ち上がってくるようなカメラワークとか、被写体にレンズを向けたままカメラが被写体の周りを回るシーンなどのインパクトのある映像は、この作品以後CМとかTVドラマでも使われるようになった撮影技術のひとつである。「めまい」を催すような鮮烈な映像は今観ても年代というものを少しも感じさせないものだった。
また、初めて映画館で観た時も強く記憶に残ったが、サンフランシスコの市街地を女の運転する車を追跡するシーンは、観る側に期待感と緊張感と抱かせる、という意味でサスペンス・ドラマの原点のようなカメラワークであった。
すこしも古びた感じがしない、ということだけでも名作のひとつ、ということは認めるが、「偉大な映画50選の第一位」ということには、正直違和感を覚えた。

そういえば、と、島田荘司に「眩暈」という作品があったことを思い出し、時間をかけてやっとの思いで押入れの奥から探し出し、読み始めた。この本も買った時に一度読んだきりになっている一冊だ。

日本における権威というだけではなく、世界的にも第一人者で、ノーベル賞の候補に何度もあがり、将来は確実に、と思われている東大理学部の教授が、横浜に来たついでに、といって馬車道にある御手洗と石岡のアパートを訪ねてきた。
何かの研究資料になるかと思って、と言いながらタイプ印刷された小冊子を取り出し、御手洗に論争を挑む。
小冊子になっている手記は、大きな文字でひらがなだけの、句読点もないいかにも子供が書いたような「ぼくのまわりのなにもかもがどくでよごれています」という書き出しから始まる。最初は大きな文字で、いかにも子供らしい文章が綴られている。頁が進むごとに文章は次第に上達していき、少しずつ漢字が混じってくる。漢字はどんどん増えていって、ついには大人の、なかなか達者な文章になっていき、「僕は鎌倉で生まれ育った」という書き出しの一章に、鎌倉稲村ケ崎のマンションの一室に強盗が入って来て、殺人が行われたことが書かれてあった。
この手記は、突然失踪した、才能はあるが問題の多い変わった学生の机に残されたもので、教授はこれを病理研究の症例とみなし、その方向から分析を試みようとするが、御手洗はこれをすべてロジカルに分析しうる具体的な事件の叙述であると主張する。
「これは先生の世界の材料ではない、ぼくの世界に属する文章なのですよ」。

「御手洗さん、天才とは何だと思うかね」。
「いい質問ですね。僕の考えというよりも、これは唯一無二の正解なのですが、自然科学における天才とは、自然界の精霊と交信する能力を持つ人のことなのですよ。自然界の精霊が彼に正解をささやくのです。だから彼はこれを疑わない。先に答えがあるんですから。あとはゆっくり理由を探せばいいんです。だから人よりも短い時間で仕事が終えられる。そして自然界の秘密を人間世界にリークできる。まるで自然界の女神に気に入れられた、人間界の美青年のように」。
「天才って、歴史上のほんの一瞬、大勢の人間がこぞって間違った道へ入り込んでいる時、天がこれを救済できそうな一人の道化に与える、気まぐれの別名なのです。アメリカに渡って大スターになる前までのアインシュタインのような男のことです」。

この本もたっぷりと重量感のある全673頁の厚さのある文庫本だ。まるで本当に「めまい」を起こしそうになるほど濃厚、濃密な一冊で、骨格はまるで純文学である。
重たい、腕も頭もしびれるような実に重たい一冊だった。

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