今週はこんな本を読んだ №362 (27.4.12) 「幕末史」

今週はこんな本を読んだ №362 (27.4.12)

「幕末史」  佐々木克 ちくま新書 14年11月初版 1080円

「幕末バトル・ロワイヤル(野口武彦・新潮新書)」シリーズを読んだ後にこの本を読んだので、「幕末」という時代を立体的に理解することができた。「幕末バトル・ロワイヤル」シリーズは「読み物」であったが、今回のこの本は、まさしく<ちくま新書>らしい「著作物」で、学術的で硬めの一冊だった。
「幕末バトル・ロワイヤル」シリーズのなかで、野口先生は「幕末がいつから始まるか、諸説があるがやはり天保の改革とみるのが正解だろう」と書いているが、この本では「屈辱の出発 1853-1859」が第一章で、「アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが、アメリカ大統領フィルモアの日本に開国を勧める親書を携えて、四隻の軍艦とともに浦賀に来航したのが1853年嘉永六年の6月3日だった」という出来事を「幕末史」の起点としている。
著者の幕末はここから始まり、1890年(明治23年)第一回帝国議会開会までを「幕末史」として論じている。

「屈辱の出発 1853-1859」、「尊王攘夷運動 1860-1863」、「遠のく挙国一致 1863-1865」、「日本を立ち直らせるために 1865-1866」、「新政府の創設 1866-1867」、「明治国家の課題 1868-1890」の全6章になっている。章建てが著者の「幕末史」の時代区分、重要な歴史認識である。

「広辞苑では尊攘論を「幕末に台頭した、外国を排撃し鎖国を主張する」と説明するが、それでは極端な排外主義者の主張を解説しているにすぎない。幕末には「条約改正」と言う言葉がないから、列強との条約をめぐる交渉も「攘夷」と表現される。史料に出る「攘夷」の意味はその場の状況をよく考えて判断しなければならないので、なかなかやっかいな言葉なのである」。
「民衆を含めて圧倒的多数の人々が不平等条約を不満として、破約攘夷を望んでいた。したがって日本人のほとんとが「尊攘派」である。開国派、鎖国派、公武合体派、尊攘派、倒幕派、公議政体派などのあいまいな言葉が幕末政治史の叙述を複雑なものにし、理解の邪魔をしてきたと思う。幕末の歴史に多少たりとも親しんできた方々は「・・・派」という言葉をなるべく早く忘れるようにお勧めしたい」という指摘があった。
尊王攘夷論、尊王攘夷派と書くべきところを、を尊攘論、尊攘派と簡略化しても良いのでしょうか、という私の質問がある。

<あとがき>に、「本書は、欧米列強にたいして手も足もだすことができなかった軍事的弱小国家日本が、屈辱をバネにして立ち直って近代化を達成した、国家建設の物語として幕末史を書いてみようと思った」とあった。
「日本を立ち直らせるために<挙国一致>立ち向かった人々の姿」を描くことが、この本の一本の太い縦糸になっているが、私は、明治維新が「日本を立ち直らせるために挙国一致で立ち向かった人々によって成し遂げられたもの」という理解はしていない。

「ええじゃないかの発生」で、「大阪では“長州おどり”といわれ、長州が京に上ってくるのを待っているその祝い事だとされていた」と書いている。
“よいじゃないか、くさいものにはふたをして、おめこにふたして”、あるいは“おめこにかみはれ、やぶれたらまたはれ、ええじゃないか、ええじゃないか”と声を出して民衆が踊り狂った。臭いものにはふたをしたからもう匂わない。おめこに紙をはったからもう見苦しくはない。“ええじゃないか、ええじゃないか” 統制・規制しようとする町役人に対する抵抗の声でもあった。民衆のタガが外れたのだ。
民衆はなぜこれほど長州の「勝ち」を喜んだのだろう。超インフレの根本的原因が幕府の失政にあることを経済の都大阪の民衆は知っていたのだ。そもそもの原因は通商条約にある。その条約を破棄または改めて、外国と対等な条約を結びなおそうとするのが破約攘夷論で、その先頭に立って運動したのが長州、動かなかった幕府に厳しく抗議したのも長州。長州に対する期待が大きく膨らんでいたのだ、というのが著者の言わんとするところである。
しかし、江戸では“ええじゃないか”は大きな騒動にはならなかった。徳川時代の終焉を予感した江戸っ子は踊る気分にはなれなかったのだろう。

これまで、多くの「幕末・維新・明治」について書かれた本を読んできた。№224「日本の近代 1 開国・維新(松本健一・中公文庫)」、№332「幕末維新 消された歴史(安藤優一郎・日経文芸文庫)」、「幕末バトル・ロワイヤル(野口武彦・新潮新書)」シリーズ全六冊、そして今回のこの一冊で「幕末維新」について、その全体像、その全容がほぼ把握できたように思う。だいたい分かった。
大政奉還、五箇条の御誓文、版籍奉還、廃藩置県、そして岩倉遣外使節、大日本帝国憲法の発布、第一回帝国議会開会までが語られているが、その間にあった鳥羽伏見戦争、戊辰戦争、明治六年の政変、西南戦争について論じられていないのが残念であった。
「幕末バトル・ロワイヤルシリーズ」の最後の章で、<明治維新は革命だったのか>、と問い、<「違うぞ、こんなはずではなかった」という思いが各人の胸を貫いた>、と書いた野口の思いが改めてよくわかる。そして無為と無策、流血と混乱、とにかくなんでもガラガラポンの後に築かれた明治という時代、「明治のメの字はめちゃくちゃのメ」という野口の言葉はまさに正鵠を射たものであることを改めて知るのであった。

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